童貞が語る、家族内でのお金のやりとりと常識について

童貞が語るシリーズ第一弾は家族内でのお金のやりとりと常識について。

ぼくは子どもが家にお金を入れる家庭モデルに抵抗があります。それはぼくがそのような環境で育っていないことに起因するのですが、今日読んだ純愛漫画の設定に、親がこさえた3000万円の借金を娘がAVに出ることで返すというものがありました。お父さんはそれを知って、酔っ払って交通事故にあってしまうんですね。跳ねたトラックの運転手、本当にお気の毒です。せめてお父さんが転生して異世界生活を満喫してますように。

貨幣経済というのは信頼関係のない間柄で発生するものであるというのは、誰もがご存知のことかと思います。つまるところ、信頼するもの同士、たとえば農家の集落における貨幣経済は被雇用者に対する賃金の支払いや耕運機などのリース料金の支払い、あるいは余剰農作物の販売でのみ発生し、集落内では発生しません。田舎に住んだことのある方ならよく分かると思いますが、とれたての新鮮な野菜は300m先までのお隣さん十数件に届けられ、次の日には調理されて返ってきたり、別の野菜や素材が届けられます。

当然特産物というものがあって、配荷される野菜の種類も限定されていたりするんですが、中には研究熱心な農家さんもいて、モロヘイヤやアボカドのようなはやりの野菜が届けられると、毎日のように冬瓜や白菜が届けられて辟易してくる身としては、非常に嬉しくなるものです。大人になり、田舎をでてしばらくすると冬瓜が食べたいなと思いますが、毎日冬瓜が出てくると結構嫌になりますよ。

話が大きく逸れましたが、「親がこさえた借金を娘がAVに出て返済する」というストーリーについて、まあ割と使い古された設定だとは思うんです。そしてヒロインはこう言うんですね。「どうやって稼いだか知れたら、絶対受け取ってくれないから」と。

3000万円もの大金を何もしてこなかった女子高生が稼ぐ方法なんて殆どないので突っ込む野暮はしませんけど、まっとうに稼いだ3000万円であっても親は受け取りますかね? それ以前に、数千円であっても、子どもが稼いだお金を親は受け取るんでしょうか。もちろん、家族を維持するための手段として全員で家にお金をいれる、という家庭もあると思います。でも、自分の常識には、その発想がありませんでした。普段から「常識を疑う」ことを信条としている自分にとって、かくや凝り固まった常識がこんなところにもあったのかと、衝撃を受けたものです。

家族内でのお金のやりとりって、親から子どもに与える分にはいいと思うんですよ。それは扶養者と、被扶養者の関係だから。庇護する者と庇護される者という関係ができている。でも、子どもが親にお金を与えたら、それは家族ではあるかもしれないけど、対等な関係になってしまう気がします。2022年4月から青年が18歳に引き下げられますが、法律上の青年であっても、収入がなければ実質的に青年と認められないようで、法律とはなんぞやと思うところはあります。あ、そういうことなんですかね。青年と子どもは違うぞと。

もちろん対等で何が悪いという向きはあると思いますし、家族それぞれに常識があるとも思います。家族内のことは他人には知れない不可侵な領域であって、法律上問題がない範囲であれば、他人がとやかく言う権利もありません。社会倫理上の問題があっても法が罰せられないのであれば、それは法を恨むべきなのです。なので、ぼくが自分の常識に合わないからといってこういうことを言うのはたぶん、間違ってますね。

おわり。

この記事はカイゴのThis townを聴きながらお届けしています。カイゴの切ないビートと、ヴォーカル参加しているSasha Sloanの歌声に酔いしれましょう。友達が皆結婚して落ち着いちゃっても、街を飛び出せばいいんですよ。オーシャンビューが見えるところがいいね。わかる。

ちなみに、着想を得たのはFacebookで流れてきたトゥーマッチペインっていうタイトルのマンガです。不完全燃焼感がとてもすごい。